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あふれる魅力再発見

「百済寺跡」および関連行事のご紹介

百済の会会長 枚方・百済フェスティバル実行委員長の花村氏にもお話を伺いました!

2011/01/14

今回のあふれる魅力再発見は、「百済寺跡」および百済に関連する行事などをご紹介します。

住宅街に静かにたたずむ百済寺跡・・・。 実は古代飛鳥時代前後を語る上では、決してなくてはならない歴史的舞台でもありました。

枚方市駅から京阪交野線に乗り1つ目、宮之阪駅から東に歩いて7~8分。そんな街中に「百済寺跡」があります。
百済寺は、百済王敬福(くだらのこにきし きょうふく)ら百済王氏の氏寺とされています。
特別史跡 百済寺跡
特別史跡 百済寺跡
  
百済の最後の王である義慈王(ぎじおう)は倭国(わこく)と同盟し、その王子の豊璋(ほうしょう)と弟の善光(ぜんこう)を人質として倭国に滞在させた。斉明天皇6年(660)に百済が滅亡した際、豊璋は倭国で実権を掌握していた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)から百済復興の支援を得て朝鮮半島に戻ったが、倭・百済連合軍が天智天皇2年(663)白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に大敗し、一説によると流刑にされたという。

一方で善光(禅広)は日本にとどまり、天智天皇3年に天皇から摂津国難波(なにわ)の地を与えられた。その後、当地には百済郡が建郡され、百済からの大量の亡命者を受け入れ一大拠点を築き上げた。ここは生野区・天王寺区・東住吉区・阿倍野区にまたがる地域で、JR大阪環状線の寺田町から桃谷周辺一帯とされ、いまでも駅名などに百済の名が残っている。
善光とその一族は、百済の旧王族として優遇され、また軍事・学問に優れたため、多く上級官吏として重用された。善光は、持統天皇4年(690)に天皇から百済王の姓を与えられ百済王氏の祖となったと伝えられる。
百済王神社
百済王神社
  
善光の4代目にあたる百済王敬福(698~766)は陸奥守に任ぜられ、聖武天皇が東大寺大仏の造立を進め、巨大な仏像に鍍金するための黄金が不足していた中、任地の陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡涌谷町)から産出した金900両を献上した功績で従三位宮内卿(くないきょう)・河内守に任ぜられた。それを機会に、難波の地から河内国交野郡(現在の枚方市中宮付近)に一族と共に本拠を移したとされる。
その後、この地に百済王氏の氏寺として百済寺が造営され、古代枚方は、百済王一族が大邸宅を築き、日韓交流の拠点でもあった。
平安末期に百済寺は火災により焼失した。一方、百済王神社は社伝によると天平9年(737)の創建で、百済王氏の氏神であったとされる。現在の本殿は、文政9年(1826)に春日大社本社本殿が移築された「春日移し」である。
百済寺跡 航空写真
百済寺跡 航空写真

百済寺跡は昭和8年(1933)に国の史蹟となり、昭和27年に特別史跡に昇格した。特別史跡とは、平成22年(2010)12月現在で全国に60か所、大阪府内に「大坂城跡」と「百済寺跡」の2か所しかない貴重な文化遺産である。昭和59年10月枚方市が定めた枚方八景の一つに「百済寺跡の松風」としても選ばれている。

■大型多尊塼仏
枚方市教育委員会では平成17年(2005)から再整備に先立って寺域内部の発掘調査を行い、塼仏(せんぶつ)という土製タイルの破片が数多く出土した。これは仏堂内の壁面を飾ったり、厨子(ずし)に安置されたと考えられており、ひとつの遺跡から10数例もの塼仏が見つかった例は全国でも少なく、大阪府指定文化財とされている。なかでも「大型多尊(おおがたたそん)塼仏」は、わずか夏見(なつみ)廃寺や二光寺(にこうじ)廃寺などでしか見つかっていない貴重な資料である。また、寺域内部から「冶金(やきん)工房跡」が発見されており、ここで青銅製品の鋳造や鉄製品の鍛冶等がなされていた。造営から維持経営まで継続的に操業された施設が寺域内に見つかった例は皆無に近い。また、塔基壇は「壇上積(だんじょうづみ)」という最上級の基壇外装をしていることがわかっており、これらは皇族と深く結びついた百済王氏の勢力の大きさや百済寺の格式の高さをうかがう一端とされる。
(出典:枚方市ホームページ、百済の会ホームページ、Wikipediaフリー百科事典)


国指定特別史蹟「百済寺跡」を広く顕彰するために2001年に発足し活動する「百済の会」の会長で「枚方・百済フェスティバル実行委員会」実行委員長の花村桓氏から「百済」についてお話をお伺いしました。
※数時間にわたって、非常に興味深いお話を聞きできました! (ここですべてをご紹介できないのが残念です。)
花村会長のインタビューの様子。(写真右が花村氏)<br>
花村会長のインタビューの様子。(写真右が花村氏)
(花村氏)
「百済の会」は2001年から毎年市民に日韓交流の歴史を広く知ってもらい、また次を担う子供たちへの継承を目的に「枚方・百済フェスティバル」を開催しています


今年で10回目を実施したが、2005年から百済の会・枚方市教育委員会・枚方観光協会で「枚方・百済フェスティバル実行委員会」を組織。

毎年5月上旬に百済の王族や貴族などの当時の
衣装で百済王神社から会場の岡東中央公園までのチャング(韓国民族楽器)パレードと、野外ステージで百済と古代枚方にまつわる講演、近燐の小中高生による箏などの演奏、和太鼓やチャングの演奏、日本民謡、日本・インド・沖縄舞踊や韓国物産の模擬店、赤米で作った餅、百済史・百済王冠作り・野点(お茶席)など、歴史や音楽・食といったさまざまな形で、楽しみながら日韓交流の歴史を学んでいます。


また「百済の会」は、メイン行事の「枚方・百済フェスティバル」開催や「四天王寺ワッソ」など、他地域での関連行事、百済歴史文化探訪の旅にも参加するなど地域文化向上のために積極的な活動を行っています。

枚方・百済フェスティバルの模様
枚方・百済フェスティバルの模様
枚方・百済フェスティバルの模様
枚方・百済フェスティバルの模様
(参考) 百済の会ホームページ http://www.kudaranokai.org/
※今回のインタビューでは、今まで知らなかった枚方と百済の密接な歴史的背景を知ることができ、非常に勉強になりました。街なかにある「百済寺跡」の風景が少し違って見えるようになりました。
取材・編集ご協力: 花村桓様(百済の会、枚方・百済フェスティバル実行委員会)
             青木二郎様(枚方市立地域活性化支援センター)
皆様ご協力、本当にありがとうございました。           by チャリンコ T