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枚方の地域情報サイト「まいぷれ」枚方市

あふれる魅力再発見

枚方八景と周辺の探訪・お店ご紹介(その8)

八景「香里団地の並木」

2012/04/03

「枚方八景」は、枚方市が昭和59年(1984年)10月1日の市制35周年を記念して、「ふるさと枚方」の風景にふさわしい場所を公募し、市民投票と選定委員会により8か所が選定された。(「枚方八景マップ」参照)
市民の誇りとなる素晴らしい景観を広く知ってもらい、保全して子孫に伝承していこうと言う目的で「淀川の四季」「樟葉宮跡の杜」「牧野の桜」「山田池の月」「国見山の展望」「百済寺跡の松風」「万年寺山の緑陰」「香里団地の並木」の8か所が定められた。

「枚方八景」について、一景から八景まで順次ご紹介します。枚方市 文化観光課から取材や資料提供などのご協力を頂き、周辺の探訪やグルメ・お土産屋さんなどもご紹介します。
枚方八景マップ
枚方八景マップ

「香里団地の並木」

(けやき通り)
(けやき通り)
香里の丘陵と田畑が、1939年(昭和14年)に東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)香里製造所となり、戦後の1957年(昭和32年)日本住宅公団によってニュータウンが計画され、現在の香里団地に姿を変えた。「けやき通り」に植えられたけやき並木は、長い年月が経ち昔からここに生えていたかのように太く健やかに育ち、枝葉を空に張るようになった。大通りを左右から挟んで空をおおう程に茂り、春は萌えたつ若葉の色、秋は紅葉して青空に映え、晩秋ともなれば木枯らしに枯葉が一斉に流れるように散って歩道を埋める。また、開成小学校東側にはトウカエデの立木が秋の夕日に照らされ朱色に映え、正門前に一列に並ぶ南京はぜはまるで蝋細工のように夕陽に透けて見える。
「いちょう通り」をはさむ銀杏並木は、秋を彩りそのほか夾竹桃の花のあふれる通りや枝垂れ柳の並木路もあり、桜公園や観音山公園、第四中学校前の見事な桜並木など花見時に大勢の人でにぎわう。香里団地はすべてが現代的に造られたまちであるが、今や年輪を重ねた落ち着きがある。 
京阪電車 枚方市駅下車、南口より京阪バスに乗車(1・2・3・6・8・9A・10・43・43A系統、乗車時間は約10~15分)、藤田川バス停で下車。

「以楽公園」(いらくこうえん)

(以楽公園)
(以楽公園)
香里団地の桜並木に面した以楽公園は、作庭家の重森三玲(1896年~1975年)が手がけた池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の日本庭園で、1961年4月に完成。みんなが一緒に十分楽しむ庭園という願いを込めて「以楽苑」と命名され、豊富な湧水による池を中心に、曲水、滝石組の築山、四方に春夏秋冬を表現した平安式の庭を配置している。また、池を中心に整備された散策路が敷かれ、毎年春と秋に一般公開され、咲き誇る桜や池に映る美しい紅葉が訪ねる人々の目を楽しませる。現在この公園の管轄は、枚方市土木部公園みどり課で、今年の春は、3月28日(水)から4月11日(水)の10時~16時まで一般開放される。
(桜の公園風景) 
(桜の公園風景) 
(紅葉の公園風景)
(紅葉の公園風景)

「観音山公園」

(観音山公園の牽牛石)
(観音山公園の牽牛石)
観音山公園は標高約45mの丘で、奈良時代創建の密教寺院の中山観音寺があった場所で、南北朝期の戦乱により焼失し廃寺となった。1974年(昭和49年)宅地造成に伴う発掘調査で、基壇や礎石が確認され、奈良時代から平安時代にかけての各種土器類、軒瓦、鴟尾(しび)などの瓦類、青銅製観音像懸仏などが出土している。           
(全国七夕サミット開催を記念して建てられた牽牛像)
(全国七夕サミット開催を記念して建てられた牽牛像)
また、機物神社と天の川を挟んで対面の一番高いところに、何となく牛の形に似ている高さ約1m、幅約2mの牽牛石が鎮座し、彦星・牽牛を祀っていたと云われている。七夕には、この牽牛と倉治の機物神社の織姫が銀河に見立てた天の川に架かる逢合橋でひとときの逢瀬を楽しんだと伝えられている。
2007年(平成19年)の7月7・8日には「全国七夕サミット」が枚方市、交野市で開催され、これを記念してこの観音山公園に牽牛像が6月に建てられた。また観音寺山公園は、桜の名所としても知られている。

「七夕伝説」

七夕伝説のおこりは、古代中国の織女(しょくじょ)・牽牛(けんぎゅう)の伝説と、技芸の上達を願う乞巧奠(きこうでん)の行事が混ざりあって始まったと云われている。乞巧奠は、古代中国での宮廷行事で7月7日の夜に織女星(ベガ)をながめ祭壇に針などを供えて技芸の上達を願う行事であった。伝説の内容から織女星(こと座のベガ)が織姫と同一視され、織姫の星から天の川を隔てた対岸にある星座が牽牛星(わし座のアルタイル)ということにされ、願いが叶えられるという意味で両星を祀り、現在の七夕伝説の原形が作られたと思われている。
(こもれび水路に建てられた七夕伝説由来のパネル)
(こもれび水路に建てられた七夕伝説由来のパネル)
(夏の北の夜空 星座パネル)
(夏の北の夜空 星座パネル)
交野が原(枚方市・交野市)における「七夕伝説発祥の地」の由来は、1600年頃前この地に住んだ渡来人たちにより、機織や養蚕の技術とともに様々な大陸文化や故郷に伝わる七夕伝説が語り継がれ、交野ヶ原を「地上での七夕の地」として位置付け、古くからある地名を七夕に因んだ地名に変えたり、またふさわしい新たな名所を作り、名付けていったのであろうと考えられている。この辺りに流れていた甘野川(あまのがわ)を「天の川」と名付け、倉治には「織姫」を祀る機物神社、天の川をはさんだ対岸の観音山公園(中山観音廃寺跡)には「うし石:牽牛石」を祀り、天の川に架かる橋は由来する「逢合橋」、「鵲(かささぎ)橋」「天津橋」などと名付けられた。 

「香里こもれび水路」

(こもれび水路)
(こもれび水路)
枚方市が香里ヶ丘地区の団地中心部のショッピングセンターや公共施設に隣接する水路を1993年(平成5年)に公共下水道雨水幹線として暗渠化(あんきょか)する際、その地上部を親水性のあるオープンスペースとして整備し、せせらぎの横を通る市道の並木の間からもれる日差しのこもれびをイメージして「こもれび水路」と命名された。
(案内図)
(案内図)
全長615mの浅瀬で、せせらぎ水路や遊歩道を設け、植栽や東屋、ベンチなどを整備し子供たちが水遊びをしたり、市民の出会いの場であったり、四季の草花を楽しみながら憩いとやすらぎのひとときを得られる場になっている。             
(こもれび水路全景)
(こもれび水路全景)
(こもれび水路全景)
(こもれび水路全景)


周辺の探訪~お店ご紹介~

香里団地の並木周辺のお店を簡単にご紹介。
(香里団地の並木散策の帰りに寄ってみてはいかがですか。)

パティスリーカリオン(洋菓子)
プティレーブ(洋菓子)
フェリーチェ ダイニング(洋食)
菓匠香月 成田店(和菓子)
8回シリーズでお届けしました枚方八景と周辺の探訪も今回で最終回です。背景や歴史を学んでみると、何気なしに見ているいつもの街の風景も、また違って見えるかもしれませんね。

取材・編集ご協力: 枚方市 産業振興課様、文化観光課様、
             青木二郎様(枚方市立地域活性化支援センター)


ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。    by チャリンコ T