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まちのがんばり屋さん日本の素晴らしい技術を継承しお客様へ届けたい。樋口メリヤス工業株式会社の元気な女社長! 2010/03/12 「子どもたちに物作りを伝えていきたい!」コッチモ:体験工房をはじめようと思われたきっかけは何ですか。
社長:体験工房をはじめたのは、「子どもたちに物作りを伝えていきたい!」と思ったからです。そして物を大切にすることを学んでほしい。100円で靴下買って、破けたらほったらいいやん。という安易な考え方を今の子どもたちはしますが、この工房で靴下一足作るのにこれだけの過程を通り、一生懸命作られているんだということを体験すると、物に愛情が湧きますよね。それを伝えていけたらいいな。と思いました。そして環境にも貢献していけますしね。 「他人にはできなくて私にできることってなんだろう!」と考えた時にこの形ができました。 そして、76年の歴史を繋いでいくことが私のやること!ここまできたら100年いきたいですよね! コッチモ:駄菓子屋さんは工場があった時からされていたと伺いましたが、今でもこちらで続けていきたいと思われた理由は何ですか。 社長:当時駄菓子屋さんをはじめてきっかけは、村の中に工場がありましたので「工場の在庫品を売る為には、人をここに呼ばなければ!」という思いに至り、夏だったので、スーパーお母さん(社長のお母様)がかき氷を売りはじめました。すると、子どもがたくさん来てくれました。そして冬はおでんを売っていました。すごく人が集まってきてくれました。残念ながら、その駄菓子屋も売却しました。 当時売却の都合上、1日で工場、私の家、駄菓子屋から実家に引っ越さなければなりませんでした。その3件の引っ越しを駄菓子屋に来てくれていた子どもたちが手伝ってくれて、とても助かりました。 母は、駄菓子屋さんが生き甲斐だったようでがっくりしてしまいましたので、実家の一部にブルーシートを捲いて再開しました。そうすると、口コミで子どもたちがまた集まって来てくれるようになりました。 それから、当社ホームページのシステムで勤務していた子が、大工をやっていたということを聞いてシステムやってもらう傍ら、駄菓子屋さんを実家の一部を改装し作ってもらいました。 繋がっていないようで繋がりがあり、救われてきました。
コッチモ:将来の展望はありますか。
社長:アメリカヨーロッパに広げたい! 日本製を広げ、日本の物作りを広げたい!! そして気持を伝える靴下・気持が通う商品を世界に発信したい!
お・ま・け編集長の靴下その後後日、約束通り中江社長が完成した編集長のオリジナル靴下を持って来て下さいました。
実は編集長がチャレンジしていたのは、交野市ポータルサイト「織姫ねっと」のキャラクター。
かなりハードル高いかも・・・ 左が原紙、真中が編集長作、左が中江社長が修正してオリジナル靴下にして下さったもの。 ・・・編集長、良かったですね!! まちのがんばり屋さん バックナンバー最新10件(全40件) |
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